沿革

小さな保険代理店、プラネットが誕生

今から10年以上前のこと・・・私たちは、「代理店研修生」として、安田火災(現・損保ジャパン)にお世話になっていました。私たち、というのは当社の創業メンバーとなる、根岸勢津子と鈴木伸尚の二人です。意気投合した二人は、公私ともにパートナーとなり、損保代理店・有限会社プラネットを始めたのが、ちょうど2000年の秋でした。社名のプラネットは、英語で「惑星」という意味です。私たちは、お客様を太陽と捉え、常に程よい距離を保ちながら、末永く同じ軌道を描いていきたい、という思いから、社名として採用しました。

保険の限界を知り、リスクマネジメントと出会う

しかしながら、考えてみますと、保険というものは、事故が起こったときの金銭的な穴埋めでしかありません。事故に付随して起こる混乱や風評被害、ブランドイメージの毀損などは、お金では購えない損失です。他にもっと有効な手立てはないものか・・・。 そんな時に出会ったのが、リスクマネジメントという手法です。考えられるリスクを全て洗い出し、それぞれの事故時のインパクトを予測し、見合った手当てをしておくというもの。私たちにとって、この考え方はとても新鮮でした。それからは、保険の設計のみならず、未然防止や事故時のダメージの最小化もお客様と一緒になって考え始めたのです。

そして、メンタルヘルス対策事業を開始

ほとんどの事故には、リスクマネジメントの考え方が当てはまるのですが、当時着目されていた、ヒューマンエラー(人の起こすミス)による不正や、情報漏えい事故等には、なかなか未然防止策が見つからずにいました。 それから数年後、私たちは「企業のメンタルヘルス対策」という分野に出会いました。そこには、働く人の心身の健康状態と、事件・事故の因果関係がデータで示されていました。それを見たとき、「これは!」と閃くものがありました。折しも、わが国の自殺者が3万人前後で高止まりし、労働者の「心の健康」が着目され始めたころです。厚労省から企業に向けたメンタルケアに関する指針も出され、今後、企業の大きな課題になりそうな予感を感じてもいました。そこで、しばらく調査・研究に時間を費やしたのち、本格的に事業化したのが2006年7月。それと同時に有限会社から株式会社に組織変更し、現在の株式会社プラネットが誕生したのです。

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